ヴァイオリンとヴァイオリン音楽



第三楽章 ヴァイオリニスト


(Mr。ビーハイブ楽師の話題メモ帳)

(その11)その他の名ヴァイオリニスト

その他の名Vn奏者達(ミニ・バイオグラフィ)(その1)


 生年順にカペーよりベイカーまで、21名の名ヴァイオリン(以下、Vn)奏者を一覧表に記します。

 
番号奏    者ミニ・バイオグラフィー
カペー、ジュリアン
(Capet, Jurian)
1873〜1928 フランス
1888〜93年パリ音楽院でVnをジャン・ピエール・モランに師事する。 1893〜99年カペー弦楽四重奏団を立ち上げ、第一Vn奏者として活躍 し、同時にラムルー管弦楽団のコンサートマスターを務めた。その 後セシル音楽院でVnを、パリ音楽院で室内楽の指導に当たると共に、 独奏者としても活躍した。カペーは、特に運弓技術の発展に貢献し、 運弓法の名手と謳われた。ジュリアードの名教師であったガラミアン はカペーの門下であり、カペーの教えを引き継ぎ、特に運弓法に厳 しかったと言う。
サモンズ、アルバート
(Sammons、Albert)
1886〜1946 イギリス
フレデリック・ウエイスト・ヒル(イザイ門下)に学んだが殆ど独 学。ビーチャムのオーケストラのコンサートマスター、フィルハー モニック協会のコサートマスター、ソリスト、ロンドン王立音楽院 の教授。
クーレンカンプ、ゲオルグ
(Kulenkanpff,Georg)
1898〜1948 ドイツ
ベルリン高等音楽院に入学して、ヘスに師事。18才でブレーメン・ フィルハーモニーのコンサートマスター、ソロ活動を行う。その後 ベルリン高等音楽院の教授として、後進の指導に当たる。第二次大 戦後バイエルン夏期音楽講座のマスタークラスを担当。 彼の演奏は、 真摯な素朴さが心を打つという。
プシホダ、ヴァーシャ
(Prihoda,Vasa)
1900〜1960 チェコ
父に手ほどきを受け、8才の時にブラームスとベートーヴェンの協 奏曲を弾きこなしたと言われる。10才でプラハ音楽院に入学し、 ヤン・マラックに師事。イタリアでの評判は芳しくは無かったが、 トスカニーニに激賞されてから引っ張りだこになり、ジェノヴァ市 立博物館からパガニーニの使っていたグアルネリ・デル・ジェスを 貸し与えられた。そして各地を楽旅して好評を博す。その後 ザルツ ブルグ、ミュンヘン、ウイーンで後進の指導に当たった。
クロール、ウイリアム
(Kroll、William)
1901〜1980 アメリカ
1911〜14年ベルリン音楽大学で、アンリ・マルトー に師事、1915年 にニューヨークデビュー、引き続きニューヨークの音楽院でフラン ツ・クナイゼルにVnを、P・ゲチウスに理論を学びレープ賞を得て 卒業。室内楽に力を入れ、エコルシェ3重奏団、クーリッジ弦楽四 重奏団に所属。自らクロール弦楽四重奏団を結成して活躍した。 その後ベルリン音楽大学、クリーヴランド音楽大学、ニューヨーク のクイーンズ、カレッジで後進の指導に当たる。
クラスナー、ルイス
(Krasner、Louis)
1903〜1995 ロシア
5才の時両親と共に渡米、9才の時ニューイングランド音楽院で ユージン・グリュンバーグに師事する。ミトロプーロスに懇望され て、ミネアポリス交響楽団のコンサートマスターを務める。1949年 より、シラキューズ大学と母校のニューイングランド音楽院タング ルウッドで教鞭を執る。
モリーニ,エリカ
(Morini,Erica)
1904〜1995 オーストリア
ウイーン音楽院でシェフチィークに師事、ローザン・ホーホマン= ローゼンフェルトにも指導を受けた。1916年ニキシュ指揮ゲヴァン トハウス管弦楽団と共演して華々しくデビューし、1916年にはメン デルスゾーン、ヴユータン、モーツアルトの協奏曲でニューヨーク デビューを果たす。その後ニューヨークに移住。マサチューセッツ のスミス大学から音楽博士の称号を送られる。
ブロドスキー、ヤッシャ
(Brodsky、Jascha)
1907〜1997 ロシア
ティフリス音楽院でイザイに師事する。カーティス音楽院でジンバ リストに師事。カーティス弦楽四重奏団の初代メンバー。ブロドス キーは演奏としてより、教育者として特筆すべき功績があり、リー ラ・ジョセフォヴィッツ、ヒラリー・ハーン等の将来性のあるVn奏 者の指導をしている。
ヴィート、ジョコンダ
(Vito、de Gioconda)
1907〜 イタリア
ベーザロ音楽院に続いてパリ音楽院を15才で卒業、1932年にウイー ン国際Vnコンクール優勝したが、デビューは遅く、35才くらいと言 われている。1944年ローマ聖チェッチーリア音楽院の終身教授、多 くのレパートリーを持つ。繊細な叙情と激しい情熱との交差に独特 の魅力のある演奏をする。
10ジェルトレル、アンドレ
(Gertler、Andre)
1907〜 ハンガリー
フランツ・リスト音楽院でフバイに師事、作曲をゾルタン・コダイ に師事。16才から演奏活動を行う。20世紀の音楽のスペシャリスト として名を上げた。ジェルトレル弦楽四重奏団を組織して、バルト ークとも親交を持ちジョイントリサイタルも開く。1940〜ブリュッ セル王立音楽院で教鞭を執る。またケルンやハノーファー音楽院で 教鞭を執る。
11ギンゴールド、ジョセフ
(Gingold、Josef)
1909〜1995 ロシア
1920年にアメリカに移り、ニューヨークでウラディミル・グラフマ ンに師事。1926年ニューヨークデビュー、その後ブリュッセルでイ ザイに師事。NBC交響楽団の第一Vn奏者を皮切りに、デトロイト交 響楽団、クリーヴランド管弦楽団のコンサートマスターを歴任。そ の後インディアナ大学のVn科教授、パリ音楽院のマスタークラスで 教鞭を執る。桐朋学園客員教授も務めた。
12ボスコフスキー、ウイリー
(Boskovsky,Willi)
1909〜 オーストリア
9才よりウイーン音楽アカデミーで学び、17才でクライスラー賞を 受賞。ウイーンフィルに入団、1939年からコンサートマスターに就 任、同時にウイーン国立歌劇場管弦楽団のコンサートマスターも務 める。1935年よりウイーン音楽アカデミー教授。1948年にウイーン 八重奏団を結成、室内楽でも活躍した。ウインナワルツのスペシャ リストとしてウイーン・シュトラウス管弦楽団の指揮者としてとし ても活躍。1963年NHK交響楽団の指揮者として来日。
13ボリエス、ジークフリート
(Borries、Siegfried)
1912〜1980 オーストリア
1929年ケルン音楽院入学、1932年ウイーン国際コンクール入賞、ド イツでもメンデルスゾーン賞受賞。1933年フルトヴェングラーの招 きでベルリンフィルのコンサートマスター。1941年ベルリン国立歌 劇場管弦楽団のコンサートマスターも務めると共にベルリン・ホッ ホシューレのマスタークラスで後進の指導に当たる。
14シュナイダーハン、ヴォルフガング
(Schneiderhan、Wolfgang)
1915〜 オーストリア
3才の時母親からVnの手ほどきを受ける。5才にして早くも公開演 奏。11才で国外楽旅に出るという神童であった。1933年ウイーン交 響楽団のコンサートマスター、37年にはウイーンフィルに移り、首 席コンサートマスターに就任すると共にシュナイダーハン弦楽四重 奏団を主宰する。またエドヴィン・フィッシャー(P)エンリコ・マ イナルディ(Vc)と共にトリオの一員としても、ソリストとしても 活躍。彼のVnは繊細にして澄明な美感に満ちていると言われている。 1965,1975に来日。
15ブスタボ、ジュリア
(Bustabo、Juilla)
1917〜 アメリカ
シカゴ音楽大学に5才で入学、レオン・ザメティーニ(イザイ門下) に師事、14才の時ニューヨークでヴィエニアウスキーのVn協奏曲を 演奏したが、これが縁となってパーシンガーの門下生となる。1931 年にパーシンガーの伴奏でリサイタル開いたが、その時聴衆の中に トスカニーニやクライスラーが混じっており、大成功を収め、翌年 彼女はクライスラーから1736年製のデル・ジェスを贈られる。国際 的なソロ活動の後、インスブルック音楽院の教授になる。
16シュムスキー、オスカー
(Shumusky、Oscar)
1917〜 アメリカ(ロシア)
幼少より音楽家の父親からVnを学び神童と騒がれた。8才の時 ストコフスキーの招きでフィラデルフィア交響楽団のソリストとし てデビュー、8才からアウアーに学び後にカーティス音楽院でもア ウアーに師事する。然しアウアーが亡くなったので兄弟子のジンバ リストにも師事。トスカニーニに傾倒してNBC交響楽団の第1Vnのオ ーディションを受けて4年間在籍する(資料によれば2.5年とも言わ れる)。 またプリムローズ弦楽四重奏団の第一Vnを務める等、室内 楽にも力を注ぐ。またカーティス音楽院の教授、イエール大学付属 音楽学校で教鞭をとる。彼のバッハの無伴奏Vnソナタとパルティー タは今でも名演の一つとされている。楽器は1715年製ストラディヴァ リウス「エクス・ピエル・ロード」と言う名器である。
17モンブラン、レイモン・ガロワ
(Montbrun、Raymond・Gallois)
1918〜 フランス
パリ音楽院でVnをトゥシュに師事する。そして作曲をビュッセルに 学んだ。1952年、1953年と続いてピアニストのジュヌヴィエーヴ・ジョ ア夫人と来日し、各地で演奏会を開いた。筆者は2度の来日のいずれ も聴いているが、落ち着いた心に沁み入る様な演奏であったと記憶し ている。元々ヴィルトゥオーゾ的なVn奏者ではなく、寧ろ作曲に重点 が置かれていたように記憶している。ヴェルサイユ音楽院の院長、 1962年からパリ音楽院の院長を務めるなど、フランス音楽界の重鎮で ある。
18シュヴァルベ、ミシェル
(Schwalbe、Michel)
1919〜 ポーランド
ワルシャワ音楽院でアウアー門下のモーリス・フレンケルに学んだ 後15才でヴィエニアウスキーコンクールに入賞、その後パリ音楽院 でエネスコやピエール・モントーに師事。1944年〜スイス・ロマン ド管弦楽団の第一コンサートマスターに就任。1948年からシュヴァ ルベ弦楽四重奏団のリーダー。ジュネーブ音楽院教授。カラヤンに 招かれてベルリンフィルの第一コンサートマスターに就任、ソロ活 動は少ないが、カラヤンとのヴィヴァルディの「四季」は美しく、 名演とされている。後にベルリン高等音楽学校の教授を務めるなど、 教職にも力を入れている。
19ボベスコ、ローラ
(Bobesco、Lola)
1920〜 ルーマニア
父アウレル・ボベスコにVnを学ぶ、6才にして初めてリサイタル。 パリ音楽院に学び、ジュール・プーシュリに師事。12才で一等一席 で卒業、1937年度のイザイ・コンクールに優勝して以来、広くヨー ロッパで活躍。第二次大戦後ベルギーでリュージュ音楽院、ブリュッ セル王立音楽院の教授として活躍。1980年初来日、エレガントで繊 細な感情表現を秘めた演奏は、素晴らしい。
20バルヒェット 、ラインホルト
(Barchet,Reinhold)
1920〜1962 ドイツ
ヴユルツブルグ音楽院で学んだ後、リンツのブルックナー管弦楽団 のVn奏者として演奏活動を開始、1946年シュトゥットガルト室内管 弦楽団のVn奏者。1952年からはシュトゥットガルト・フィル、1955 年からは南西ドイツ室内管弦楽団の首席コンサートマスターを歴任 した。その一方でソリスト活動を行っているが、1946年にはバルヒ ェット弦楽四重奏団を主宰するなど、室内楽活動を行っている。1962年 にはドイツ・バッハ・ゾリステンのソリストとして来日したが、そ の後間もなく自動車事故の為に他界した。 ミュンヒンガーのヴィヴ ァルディ「四季」第一回レコーディングのソロは、他ならぬバル ヒェットであったという。
21ベイカー、イスラエル
(Baker、Israer)
1921〜 アメリカ
シカゴ音楽院でアドルフ・ピックに学び、6才の時にシカゴオーケ ストラホールでデビュー。その後ジュリアード音楽院でパーシンガ ーに師事、さらにジャック・ゴードンやフーベルマンにも教えを受 けている。ハイフエッツとピアティゴルスキーの室内楽演奏会では 常に第二Vnとして活躍した。またストラヴィンスキーとワルターの レコーディングでは常に長期間にわたってコンサートマスターを務め た。この様にベイカーはアンサンブルのスペシャリストであるが、 現代音楽を積極的に取り入れている。

  *********** ヴァイオリン(Vn)は本当に不可思議な楽器である!*******

           次回も現在活躍中のVn奏者達です(ご期待下さい)

平成15年1月6日  ***編集責任・錦生如雪***


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